銀輪

公共交通機関の恐ろしさに自転車通勤に戻っているわけですが、帰宅時刻の自動車の渋滞には驚かされます。コロナ騒動以前よりも増えているのは、多くの通勤者が自動車という安全空間に籠っているからか。本当に安全かは謎ではあるが、自己責任領域であることは間違いない。自転車の場合、空間に漂う様々な菌の中を突き進むわけだが、体幹から鍛えていこうという点に着目してその利用を選択している。

そもそも自分を運ぶためだけに地球環境を悪化させるのかという点に疑問を持っている。何か特別な面白さの為にステアリングを握るのではなく、宅配便の荷物の如くに自らを運送するツールなのだ。産業の申し子であることは間違いないが、自動車通勤だけは好きになれない。誰かとシェアライドしてくるとかね、そんなのなら会話もあって良いかもしれない。情報共有の場と言う別の意義が生まれる。

パンクさえしなければ体力が続く限り延々と距離を延ばせるお気楽なツールではあるが、余りにも無防備なのは恐ろしいと言えばそうだ。自動車に正面衝突された時の恐怖を思えば、止めた方がいいかなとも思ってしまうが、満員電車でコロナウイルスにまみれるよりはましかなという比較級だ。どっちがどれだけ良いのかというところに尽きる。

マスクを掛けながら心肺機能を全開するわけで、高地トレーニングかと思わんばかり。満開の八重桜に喜びながら、なにか楽しみを見つけないとやっていけない自転車通勤ではありますが、サイクル小僧の本領発揮で、天気が良ければ血液循環運動という感じで、血気盛んな毎日であります。