東京都でのコロナウイルス感染者数が、報道によればこのところ減少しているとなっている。何処まで信じて良いのかさっぱり謎なのだが、今年の4月終盤からの連休での「家に居ろ」というのが効いているのかと思うと、人間もなかなかやるなぁと思うのだ。しかし、世界を見渡すと、都市間移動を厳しく取り締まって、家から用事もなく出歩くと数百万円の罰金を取るようなことをしている国では、どんどこ増えている事実との対比が、どうも納得できないのだ。
検査数が少ないから罹患者登録者数が少ないのだという理屈は、そうかもしれないなと思うところもある。マスコミを通した情報しか無いから真実が処にあるのか分からないけれど、医療機関が爆発しますよということで検査を抑えるという、なんとも国として悲しくなってくる言い訳だなと感じるわけです。検査にしても自動化が殆ど出来ていないとかね。
思い出してしまうのが、スタップ細胞事件。もう、あれは事件と言っても良いのだと思うけれど、見やすく画像のコントラストを変えてみたら、新規現象が見えましたというところなのだが、人為的な結論に頼った診断で、検査件数も少なく、重労働による疲労・過労、精神的苦痛を考えれば、検査の在り方そのものに対して、惨劇が続いている間ではあるが、PDCAを回しては如何かと思うのだ。PDCAはCから回せば良いので、既にその情報は揃っているだろう。
疑ってはキリが無いわけだが、1日の検査数が200件台とかね、日本の実力ってマスク2枚と1日200件なのだなってしみじみしてしまうのです。過剰設備を入れないのが日本の工業会の在り方であって、今、過剰に設備を入れてしまうと、コロナ禍が去った後に、その固定資産をどうするのだということで悩んでいるのかもしれないが、国民が死んだら国は無くなってしまうのだ。その意識が無いのが怖い。そんな気がする。