フィルター

緊急地震速報全国版を、バックグラウンドで立ち上げながら、それなりのお仕事をしていると、突如アラームが鳴り「何処かが震度1」と伝えてくれる。震度1をどう捉えるのだ?太平洋プレートは7cm/年、グイグイと東日本の下に潜り込み、海水を含んだプレートを摩擦熱も含んで長野県直下に運び込む。2011年の震災から、その影響が人間の観察下になるように現れ始めたのだなと納得している。東北の大地の歪が、中部で開放され始めた証であろう。どうなることやらである。

子孫を探して面白おかしく社会をたぶらかす番組が流行っているようだ。たまたま、画面を見たらそんな番組をやっていただけなので、真実かどうか解らないが、解らないからこそ、歴史を語っているように思える。誰も知らないから、一番手に語れば真実となる、という理屈なんでしょうね。古文書に残っているからと、それとて何処まで信じてよいのやらである。見せ方と、見る方の気の持ちようで情報はあらぬ方向に伝達されていく。人間の意識のフィルタは極めて大きい。何を言っても聞かないフィルタなんてのは最悪だ。

いよいよ関東エリアも緊急事態宣言が解除されるそうで。ただ、そうなったとしても、当分は東京に行く気はしないし、来客して頂きたくないという気持ちは本音である。様々な場所で生き続けるコロナウイルスであるから、どんな経路でやってくるか解ったものではない。自分が安住している以外の場所での行動は、おっかなびっくりに成らざるを得ない。これも意識のフィルタの一つではあるが、君子危うきに近寄らずということもあるのだから、臆病は正義であろう。

いろいろ身の回りを見渡してみると、なんでこうなっているのかなという現象に満ち溢れている。その「なんで」を思わずに活動しているわけで、人間の愉快さがそこにあるのだろうと考えるわけだが、全ての因果関係が解る生活って、妙に味気ないのだろうとも思う。推測、空想があるからこその人間であって、その能力を封印する必要は無いだろう。SNSという妄想の発散ツールで、誹謗中傷で人を死に追いやる時代である。無くなって欲しいものだが、どうなることやら。