御用は聞かない

首都圏での緊急事態宣言がいよいよ終結するのだなと、ネットニュースを見ていて実感する。緊急事態宣言が終結するだけであって、地上の新型コロナウイルスが直ちに無くなるわけではない。実際に、東京では新規の感染者が出続けているわけだし、いつ、どんな集団感染が発生しないとも限らない。クラスター発生という言葉で片付けられがちだが、所謂繋がったひとかたまりということでその名前を使っているのでしょうけれど、要するに、油断をすると痛い目を見ますよという状況には代わりはないのだ。

油断はしていませんというギリギリの線はどの辺りなのだろう?三密などという定性的な表現は止めて、明らかになってきた科学的根拠を元に線引きをしたいのだ。密集する部屋のあり方を避ける必要は継続しないといかんだろう。6月1日から一斉に元に戻すなんてことはあっちゃあられんこっちゃ。折角身につけた活動様式なのだから、キープしていっても良い部分はあると感じている。

とは言うものの、経済活動において、海外との取引を停止し続けて良い訳はない。国の外で評価されてこその先端技術なわけで、その点においては全力でご協力申し上げねばならない。教員の研究に打ち込める時間の増大こそ最優先事項であるわけだが、従来には無かったウエブ講義の準備に追われていらっしゃるわけで、無闇に共同研究のお話などを持ち込める状態ではないのも事実。このあたりは大学として難しいところである。各人が取り組めることに最善を尽くすということに尽きる。

霞ヶ関の枠の中と外との乖離が恐ろしい。言われているような第二第三のコロナ禍が発生した時、緊急事態宣言の神通力は効かないであろう。お願いベースの仕事不許可命令に従う国民はどれだけ居るのか。それを思うと、兎に角、第二第三波を発生させないように努力していくことだ。そのためには経済的に極めて厳しいことにもなろう。こんな時だからこそ、本当に良いものを作る努力が必要である。御用聞きなどいらないのだ。自ら発想すれば良い。それだけのことだ。