歩調は何故合わないか?

珍しく、いろんな方が「あんた、これを言い切りなさいよ」と追求してくるのだが、小生的には、だからなんだということである。そもそもこれは「たわごと」であって、『ざれごと』などと間違って読み下す方の威張りくさった命令口調の「こう言え、ああ言え」などの命令はどうでも良いのだ。おまえ、気をつけろとご支援を頂くが、あぁ、なるほどねと思うだけだ。バックキャスティングの基準は何か?と真面目に考えたとしても、省エネ程度の意見があふれかえるだけだ。

ゼロ・エミッションが正しい世界なのだが、これがなかなかにして厳しいのだ。小学校の先生が言っていて、今なら理解できるのだが、「摩擦が無いとみんな歩けないのよ」って。その通りなのだが、モノ同士が触れ合ったら、そこには必ず摩擦が発生するのだ。これが面白いのだ。原子の性質がストレートに現れる。これこそ生命を支える一つの機能であって、人間がどうのこうの出来る代物ではない。

勝手に決まっていると言われると、それをいじりたくなるのが人間の性であって、じゃぁ、なんとかしようではないかと考える。考えても、室温の温度領域では、原子はかなりの熱エネルギーの中に晒されているわけで、皆、好き勝手に動こうとする。そうなると平均的な結果しか出てこない。一斉に、電子と原子核が歩調を合わせるならば、凄まじい威力を発揮するのに・・と、常に思っている。本気で思っているから大馬鹿であるのは間違いない。

マイナスとプラスが歩調を併せたら、これは凄いことになるのだ。磁石はその一つの例えかも知れないが、これも相当に適当に並んでいて、くっつくという効果を出すのだ。人間もご同様。ほんの少しだけでも歩み寄ると凄いことになるのは間違いないのだ。そうなのだが、人間らしく、人がこう言うなら、こちらはああ言うというのが性である。なかなかにして前に行かない。手を握り合わない。そんなことを考えていたら週末である。雨である。じっくり考えるとしよう。