データ

グラフを見るとじわじわと減っている様に見える。これがグラフという、データの可視化マジックなのだと思う。政府は東京都の「県をまたぐ移動は控えるべき」という意思表示に対して不快感を示し、観戦が広がっているという印象を与えると不快感を表明しているが、具体的数字に対して「大したことはない」ということを平気で言う政府に、何故、マスコミも国民も従うのだろう?

定量的な評価結果を見て、我々は「怖い」か「怖くない」かを決めるわけだ。確かに、昨日も述べたわけだが、一千万人に対して100人だから、まぁ、大したことは無いというのはそうかもしれない。梅雨の末期の豪雨災害よりは大したことは無いのかも知れない。しかしだ、定量的(検査数が少ないという状況において十分では無いが)数値を評価するのは国民、一人一人であって、大臣が云々と解釈論を述べる必要は無い。多いものは多いのだ。

諸外国を見れば一目瞭然。経済に走り、死者が増加する。その有様はデータが示しているわけだ。国内のPCR検査が如何に少ないかも皆知っている。その状況下において、都知事の発言は観戦が広がっている印象を与えると言うのはどうなのだろう。10日前より明らかに広がっているではないか。

定量的データが出てこないから不安になる。デジタルトランスフォーメーションなどと言葉が先行するわけだが、デジタルデータの作り方がいい加減、そして、その解釈もいい加減。論文であれば捏造というレッテルをはられるわけだが、それを威風堂々と展開するのが我が国家である。数字の解釈は、もしもその数字が正しいとすれば、受ける側が考えることであって、「こう考えろ」と脅迫されて解釈するものでは無い。愉快な国である。