国民から30%以上の賛同を得ている政権のやることに、意義など、生ごみが臭いと、その生ごみに集うカラスに文句を言うようなものだ。何も言いません。だって、全ての方々が正しいと仰るのだから。疲れ果てて駅のコンビニで、何かを買おうかなと思って立ち寄ってみたら、「驚いたぜ、選挙に行く奴が居るんだな」と、都知事選挙を傍観される方の、なんとも自由な発想に出会った。
成る程、そうか、何があっても世の中は変わらないという意識を通り越して、選挙という「ホリデー」を満喫する国民と政治家との関係になっていたのかと、何ということか、国政が国の方向性を決めるのだなどと、熱く、ベクトルを考えてはいけないのだ。まるで大バカである。耳を傾け、真剣に天下の行く末を想った国民は、ただの「ばか」であったのだ。
愉快である。馬鹿という漢字を分解して、馬と鹿の意味を語って下さったのは、茨城県の双葉からやってこられたS先生であった。おかげで、人の住まうところに文化があるのだと、人間としての本質は教えて頂き、そして、それを継承出来ていることは間違いない。手取り足取りなどという器用な方では無かった。熱い人でも無かった。でも、覚えているのだ。
皆が認める。そんな人は、小生は、所詮、駄目な状況にある方だと思う。駄目で、大バカで、でも、ちょっと立ち止まって考えてみて下さい。自分の意志と異なると認識出来るって、自らの意思が定量的であるし、そして、批判の対象者も具体的であるのだ。全く駄目だという為政者こそ、政治を貫くのが良い。本気で思う。それだけだ。