アナログからデジタルへ

昨日16時発表のコロナウイルス感染者数において、東京都は224人であったと報道があった。厚生労働大臣は「医療体制はひっ迫していない」と宣言されたが、医療体制が無限にあったら、罹患者を無限に増やすおつもりなのだろうか。都知事と内閣との意思の不一致は、まぁ、ご当人たちは同じことを言っているとしているのだが、とても同じとは思えないのだ。愛知県においては感染拡大中という状況では無いが、公共交通機関は繋がっているわけだし、気持ちが悪いのは事実である。

中京圏を通り越して、関東圏、関西圏で目立って増えてきていて、中京圏の数字がそれらと全く異なるのを見て、ファッションの流行を見るようで面白いなと思っている次第である。ファッショントレンドは、東京、大阪、福岡を見て決めているのであって、愛知は入っていないのだ。最初期ののぞみ号は名古屋駅に停車しなかったのだが、それって案外、正しかったのではないのかと、今回のコロナ禍状況を見ても思うのだ。今回はそれが安全方向に振れていて有難いわけだが。

緊急事態宣言を出せる経済状況では無いのは明らかだが、そうであっても、科学的にウイルスの毒性がこの程度だからだとか、定量的に語経済再生大臣は語るべきであって、30代がメインだから重篤にならないからと、どこぞの大統領の様なコメントを繰り返すのは如何であろうか。布マスクのウイルス停止能力は全くないという学術的データは全く紹介されないわけで、マスコミの政府寄りで全てをブラックボックスに閉じ込める風潮は変わらないなと感じる。

恐ろしがってはいけない。しかし、恐怖が去ったら元に戻るのだという思考はいかん。世界から圧倒的に遅れているデジタル化のウルトラ加速は当然だし、環境対応で自動車の在り方も変わったのだから、部品も、その素材や加工精度もまるで変っていく。その内に図面がやってくるだろうなどというのは大間違い。大学も御同様。事業性評価という定規で測られる状況にある。圧倒的魅力をもった講義コンテンツで、離島や海外の学生に卒業証書を出せる仕組みだって必要かもしれない。背伸びをし過ぎてはいけないが、将来性への融資が成されているか、厳しく評価される。リアルが名古屋飛ばしをするのであれば、ネット社会では名古屋だということであっても良いのではないか。そう思う。