広田先生

何も考えてはいないのだが、廣田先生(広田先生でも可)がこう言いましたよねと語りかけて、頷いた方がゼロであって、それで良いのだ。まぁ、そうでしょう。それで良いです。戯言ですもの。これが面白いのだ。小生も生きている、いや、そうでは無いかもしれないのだが、生きていたとして、次に繋がる、何かを思っているのかもしれないと、情けないことに思っている。広田先生って一体何者と仰るのであれば、もうちょっとだけでも良いから、文学と戯れては如何か?

これは愉快なのだ。今を認めて欲しいと、未来の有り様に過去の連続を期待していない、いや、フォアキャスティングの未来は止めてくださいと散々言っているのに、昨日までの実績がこれだけあるから雇用するべきだと叫んでいたくのだが、全く響かない。いや、だから、未来は貴方によってどれだけ世界が変わるのかを、一言仰って頂けませんか?それを価値化出来ないお企業がどんどん無くなっている。それはそうでしょう。で、だからなんだ。

昨日、とある会話のやり取りで、土日が無い、当たり前だとリズムに乗って表現したのだが、それは当然のことである。何故か?無限に働けと言う意味ではない。気づきは常にある。それを放棄されるのであれば、残念ながら、明日のポジションは無い。こんな事を明示すると、厳しいとか、きついとか散々仰られるわけだが、ほんの瞬間において、新しい思考すら止めて良いというのであれば、もう、日本は無い。間違いなく無い。土日に何が出来ますか?追い立てられる思考からはずれて、新しい事を瞬間、イメージできませんか?その瞬間すら嫌なんですか?

何か、勘違いをしていらっしゃいませんか?こんなことをやってきたから、私は能力があるのだと。過去の経験が生む価値観に自らを縛るのですか。ほう、その価値観は誰を幸せにしますか?100万年前の方ですか、そうですか、そうですよね。それが今の日本であり、中京圏である。貴方の価値観は素晴らしい。タイムマシンに乗れるのならば。それだけである。