退化は嫌い

某先生から「偽善者!」と怒鳴られて、既に20年以上が経過した。正論のつもりだったんですけどね。教育に対して「俺は出来ないんだから巻き込むな!」ってことだったんですけどね。今の在宅勤務やテレワーク、そしてウエブ教材による教育の議論と似ているなと思った次第。

「教育は平等でなければならない」という教育の機会均等の大原則なんだけど、出来ない人が一人でも居たら「全員に対してやってはいけない」と言うのが「偽善者!」と怒鳴った人の理念だったわけなんです。こちらからの想いは「8割出来ているから、後2割はどうやったら出来るかを考えましょう」と説明申し上げたら大上段から怒りが降ってきた。

ネットワーク講義をスタートする時、出来ない人がどれだけ居るのか、その人達にどのような対処をすれば良いのかという考え方が出来たのは良かったのですが、もしもこれがコロナ禍騒動が無ければ無理だったでしょうね。そもそも論として遠隔授業などは議論に上らない。仮にコロナ禍騒動下であったにせよ、絶対に対面と言う選択肢もあったわけですが、機会均等が前向きに捉えられたのは良かったと思う。教材の提供は絶対にしないみたいな強硬な対応だってあり得たわけですが、それは無かった。高いレベルに向かっていこうという意思が見えた。

研究も「解らない」からやるのであって、高いレベルに行くために四苦八苦して挫折してもまた這い上がっていく前向きさが必要で、それを好んでやる人種が研究者と言うことになるわけだ。個人の信念は重要だ。一方で組織として達成するべき必然さはもっと大切だと思うのだ。今より高いレベルに皆で行きましょうというお願いに、出来ない人が居るから駄目だという議論はおかしかろう。世界は猛烈に進んでいく。現状維持はあっという間の退化に繋がる。恐ろしい。