お休みの間に戯言は無いだろうというのが流儀であるが、お盆だけにいろいろとある。何があるって、夢にご先祖が出てきて、あれやこれやと喧しい。琵琶湖を朝日を背負って眺めていると「何故、土を売り歩かないのか」と物部氏の方々が夢枕に立つ。その頃は東岸は湿地というか水の底で、鈴鹿の裾野は水の中であったわけで、藤原仲麻呂さんが居を構えていた、今で言うなら大津の辺りのちょっと土地が高い辺りは、まぁ、人が住めたでしょうよと、そんなところでございますよ。
2000年の名古屋水害を時々思い出すのです。助教授に成りたてで、当たり前だけれども一週間に宿舎で横になって眠るなんてことは、まぁ、一月に1日も無かった頃。というか、研究馬鹿で面白かったですからね。f電子がどうたらこうたら、まぁ、そんな毎日でしたよ。その頃に突如というか、コンクリートの建物の中に居たのに1m先の人との会話が出来なくなった。叩きつける何かがあった。そんな勢いであった。思い切ってというか、無理をつんざいてというか、学生君が鶴舞駅まで行って「地下鉄が水没しています」と、結局、研究室で朝まで「熱電対の近似をするにはどうしたら良いか」という、おもしろネタを語り合ったのを覚えている。
面白いのだ。電子の運動を見てきたように、当時は黒板しか無くて、黒板に向かってあれやこれやとやりあって、そんな時代は二度と来ないのでしょうね。キーボードを叩いたら、画面が教えてくれる以外は「嘘」と思っていらっしゃる方々と、湯川先生が廊下の彼方から名前を絶叫して「話を聞け!」とそんな物理漬けの世界の住人とは、生き様がまるで違う。彼岸のあっちとこっちよりも差が大きいのだ。
お線香を仏壇に手向けた。それは当たり前なのだが、昨夜、夢を見たのだ。父がジャズのレコードを持ってきて、まぁ、楽しめと言う。デンオン(DENONではない)が放送局向けに作った機械に乗せ、純銀の音響ラインが奏でる楽曲に惚れ惚れして目が醒めた。部屋の掃除中に偶然にその父の写真を見出し、やはり、これがお盆というものだと感じた。殴られた想い出だけの父だが、これがお盆である。納得である。