お盆に想い出す

膝をついて草をむしると、そのむしられる側の植物は背中の上に青碧と葉を太陽に照らして、風の音すら遮って、無限の彼方の洞窟を見せる。それが農業というものだと伯父から教わった。桑の葉を摘めばそれは絹の価値を生み出すということを知らず、ただただ辛いだけの農業ではあるのだが、膝を付き、方を落とし、黙々と、そう、誰も居ない、そんな閑居の中、一歩々々前に進むのだ。それが雑草と呼ばれてしまっている、育てようとしている植物以外に与えられた氏名のものを駆除する行為だ。

あの時の光景は、もう、何と語れば良いのか。その価値も教わる事無く、ただただ、大本営発表の如く、大日本帝国銃剣道最高師範の元、泥にまみれ、守るべき植物の根本をはい、染み出した水に口をあて、喉の乾きを黙らせる。それが農業である。いや、何を言うまい。こんなことを語ると、ビジネスとしての「休日がある農業」従事者に手を挙げる者を減らすと激怒されよう。

ヒルが居て、じゅくじゅくの大地の中に膝をめり込ませ、噛みつかれてヒルがどんどん太っていく姿を見ても、嫌だと言えない世界が、ほんの少し前にあったのだ。かたや、物理学は100年進化していない、大学教員は共同研究などゴミ野郎だと息巻く方の、目尻が釣り上がる怖さと対峙せねばならぬ。それが今の世である。秋田の果に、思えば遠くへ来たもんだと言えるか言えないか。

なぁんて難しいフリをして、単に、この、お盆の時期にマーケットに行くと、墓地まんじゅうを買って、いや、その行為が輝いていて、ご先祖がいらっしゃって素晴らしいと思う次第。そのご先祖を思ったら、銃剣を突きつけられ、ヒルにまみれた沼地で草取りをした、そんな時を思い出しただけだ。エアコンが効いて、繰り返し学べて、だからなんだ。いや、もう、申すまい。それが今の時代であろう。雨が降ってもヒルなど居ない。そんなもんだ。