無音は?

しんと静まった世界というところに出会うことが少なくなった気がする。静寂と思っていても、何かそこに音があるものである。音とは空気の粗密が鼓膜を揺すぶった時に感じる物理現象であるが、それだけではなく、生命にとっては生きているだけで自分の中に音源を持っているのであって、静寂な世界という現象にはなかなか出会えない仕組みになっているわけだ。

真夜中に水滴が一定の周期で落ちる音を聞いたとする。これなどは夢うつつの継続であることが多く、山中、岩陰で休んでいた時にどこからとも無く体に伝わってきた振動とその音が、精神に染み付いていて、それが思い出されてくるのだろうと想像するのだが、それが確実に目を覚ましているという自覚のある中で続いていると、どこかの水道管が漏洩し始めたのではないかと気が気でない。

こうなると寝ている場合ではないということになるのだが、体を起こしてみるとまるで消えてしまうのだ。床に近いところの音かと思うのだがそうでもなく、横になってみるともう聞こえないのだ。やはり夢うつつであったのかと思うのだが、そんなはずは無いとはっきりと思い出せる音の周期である。

夜中に帰路にある時、竹やぶの中からしばしば「ざざっ」っと音がする。これなども子供の頃に母の生家の裏山で聞いた熊がヤブをかき分ける音の復古であることは間違いないのだろうが、突然、刃傷沙汰が巻き起こされないとは限らず、やや小走りになるのは仕方があるまい。静寂を感じた時は実は聞こえるという感覚が体を離れて別の場所に行っているのではなかろうかと感じるのも、これまた灼熱のお盆であるからか。暑すぎてご先祖様達も参っているのかもしれない。苦笑いである。