孤立無援

あらまぁ、何という事でしょう。昨日の原稿がそのまんまでしたね。孤立無援というタイトルそのものでありまして、結局のところ自分が動かないと何も変わらないよということを言いたかったんですね。黙っていれば誰かがやってくれるだろうみたいな、そんなわけは無いですよね。誰でも自分が可愛いから辛いことはやりたくない。でも辛いって思うこと自体がどうなんだろうなと思うのです。

8割の人がリモート講義は良いという、一方で7割の人が寂しいという。孤立無援だという。いやいや、孤立無援になることって相当に難しい。車に跳ね飛ばされて意識を失っていても、気が付いたら病院まで運んでくれるしね。孤立していると思ってしまうと、意識の壁はどんどん高くなって、結局その意識が大きくなる。専門家では無いのでこの程度で止めなければならないが、そう感じている。

眠っていてもその間には常に仕事や人が襲い掛かってきて、目が覚めたと思っても、結局は夢の中で「あぁ、夢だったか」なんてなっている。今、こうしている時間の中においても実は夢だったりするのかもしれない。でもどうやらそうでもない。判断し続けないといけない。夢を追い続ける場は遥か遠い世界になったが、この状況は孤立しているのかもしれない。ただ、無援では無いのだ。

検索エンジンを叩けばなんらか答えが返ってくる。これは既に孤立無援でない証拠だ。限界は誰にでもある。そう思うと気が楽になる。超人になんてなれるはずは無いのだ。だって誰もが人だもん。なんだかタイトルだけ与えられてそこに書き込むという不可思議な戯言になってしまったが、本当は別に原稿はあったのです。まぁ、戯言だからそんなもんだ。