きちんと並んでいると気持ちの良いものというのがある。それが乱れているととても嫌な気持ちになる。年齢を重ねたということなのかもしれないが、妙に目に付く。そしてため息が出る。直しておいても気が付くとばらばらになっている。隠しカメラで犯人を追及なんてことは考えない。バカバカしい。それが履物である。
下駄箱って、まぁ、いろんな意味があるのでしょうけれど、自分の履物をしっかり管理しましょうということなのか、揃えて並べましょうというトレーニングなのか。次に履きやすいように脱いで置いておく。なんか当たり前のことと思うのですよ。特に、共用の場においては。それが言っても、買いても、直してもどうしようもない時代になった。
そんな時代になったのだと諦めることにした。某大学の様に違法麻薬が登場したわけでは無し、まだましなのだと思うことにした。しかし、一脚だけではなく、10脚のスリッパが無残に散乱する様子は実に醜い。吐き気がする程だ。そこに居る管理者が何も言わないのだから、小生の出る幕では無い。要するに醜く見え感じる人はそこには誰も居ないのだ。
研究者倫理などが叫ばれるわけだが、それ以前のお話だろう。と、思うのだが、いや、それはもうそう感じる時代では無いのだ。そう思って思い出すと、出入り口に平気で自転車を立て掛けている輩も居る。成る程、そういう時代なのだ。他人のことなど何も思わなくて良い時代になったのだ。胸が苦しくなる。そんな思いを抱く人はご退場ということなのだろう。なるほどね。