美談は苦手である。特に偽善的要素を多分に含んだと、小生自身が感じてしまうと、もうどっちらけてしまう。あんまり深くは言う必要は無いが、そんな出来事が山ほどある。忖度なんて見方を変えると美談だしね。こればっかりは難しい。本当に難しいと思う。美談の判断基準は余りにも難しく、基準が百人百様で、何が美しいのかさっぱり分からない。これが話をややこしくする。
正しい依怙贔屓というのもあるのだと思っている。何でもかんでも平等が美しい、それこそ美談だと言われるし、まぁ、そうかもしれないのだけれど、小生は意を決した依怙贔屓をしなければ組織は存在しえないと思っている。そりゃぁ、全員おんなじだよと言って世の中が丸いのであれば、それに越したことはなかろう。ここにも美談のややこしさが付きまとう。
ちょっとことが大騒動になって、結局崩壊に向かいつつあるのであれば、リーダーは何とかせねばならぬ。その時に平等ねと言っていたら、必ず組織は無くなる方向に行くのが現代の日本だ。そんなことは無いと思っていらっしゃるのなら、その方は余程の中枢の、しかも頂点に近いところにいらっしゃる方だ。親企業の方向付けが子分の命運を簡単に分ける現代において、みんな一緒ねなんてどこのお話でしょう。
火傷は何処からともなくやってくる火の粉によって生じるのだが、その時に、自分は悪くないと思った時点で負けである。今も昔も何があっても諦めず、腐らず、何とか見返そうと努力を重ねるしかない。その時に、みんな平等ねなんてことはあり得ない。崖から落ち始めていたとしても、偶然に出ている枝に手が届いて重傷で済むかもしれない。あちらの世界に行かなければ何とかなるのだ。経験してみると分かる。そんなもんだ。