読書ばかりして飽きたので散歩に出掛けた。一昨日の薄ら寒い雨から、一転、秋の日差し暖かく、小春日和とはこのことだろうなと呑気に歩き出した。散歩と言うくらいだから行き先など無く、目的もない。歩くことが目的であるから呑気この上ない。緑区の端っこは、延喜式神名帳に記載される神社が勧進されている程度にお土地柄は古く、更に東に行くと白鳳時代の駅の跡も見つかっており、縄文海進の時代の東西を結ぶ経路があったことが記録に残っている。縄文・弥生期の遺跡も多く残る。散歩をしていて愉快な土地である。
東京の小金井というところに、街のどまんなかのゴルフ場があるのだが、そこと比較してどうすんだと笑われそうだが、ゴルフ場というものは、短いコースであっても、街のどまんなかにあると、町並みをドーナツ化させるには十分な広さとなって往来を寸断する。緑区東部もご動揺で、巨大な公立墓地と相まって、極端な都市化をさせないところが気に入っている。愛知用水もその体を南北に横たえ、南は豊明の中京競馬場で封印されている、本当に名古屋市かここは?という感覚に陥って面白い。
斜面に在しているので、昇るか下るかどちらかしか選べない。ぐぐぐっと下ると、今度は昇る。17世紀の新田開発期の地図に明確に示される池が今も明確に残り、明治末期の地形図ではっきりと周囲が解っている土地である。頼朝が通った鎌倉街道の回り道がはっきりと残っていたが、山野を切り開く開発に拠って失われつつあるのは寂しいものである。鶴が沢とか亀が洞なんて地名を紐解くと、池や湿地があり、田んぼとして生活を支えていたことが地図で読める。歴史散歩は心地よい。
6〜7kmで小一時間、適当に散歩を切り上げて戻るのだが、足を動かし、アップダウンを繰り返し、気晴らしには丁度良い。知った顔には誰にも会わず、マスク越しの数少ない人とのすれ違いだけの時間ではあるが、半径1m生活とは違う楽しさがある。欧州ではコロナ禍が猛威を奮い、再びロックダウンで散歩もままならぬ。油断大敵ではあるが、血液循環も大切である。寒くなって「風邪」にかかるようにコロナウイルスに負けてはいけない。そう思う。