改革

明治19年3月2日に帝国大学令が公布された。帝国大学は国家の須要に応ずる教授研究を行う機関と規定され、7帝大まで拡大されていった。国家にとって無くてはならないものを教授研究するというとてつもなく大きな役割を担っていたわけで、その重要性は弥増しに増しているところである。教授するべき範囲が膨大なものになっているが故だが、今のままでは宜しく無かろうと感じているのは事実でもある。

いや、何も帝国大学云々というわけではなく、星の数ほど増えた大学がそれぞれ好き勝手に何かやって良いのかと言いたいだけである。私立大学は創立者の理念がべらぼうに強く働くわけで、どうぞご自由にということなのだが、税金活用大学ではその言い訳は通るまい。自由勝手が学問であるなんてお話が通る筈は無い。

それぞれの大学がどんなポジションかを選ばせて頂いて、その中でミッションを定義して、それをきちんと達成していますかという評価を受ける仕組みだが、全学全体をきっちりと見渡して、定量的に存在価値を評価している大学は、小生は1校しか知らない。何処とは言わないが、まぁ、ねぇ。鶴舞?ほっといて頂戴。

それ、良いけど誰がやるのとか、誰が管理するのとか、直ぐにそういう話になる。ちゃんとどんな構造で組織が成り立っているかまで本社に届けているのにね。見えないところも沢山あって宜しく無い事、この上ない。いっちょやるかなという気になっているのだが、はてさて、行きつく先は何処になるのやら。例によって自分で振った賽の目が出る前に走り出す。悪い癖だ。苦笑いである。