遥かなるニューノーマル

ニューノーマルという、改革だらけの毎日を送っていると、何を今更と言いたいわけだが、どうも世界では使われているらしい。日本の何にも変わらないニュースバリューを見ていると、明確に変化していることが分かる海外のあり様が羨ましい。今頃在宅勤務のルールを作りたいとかね(鶴舞大学ぢゃないよ)。定常的に在宅勤務が成されている状況における、メンバーとのパートナーシップとかね。考えるところはいろいろある。

職場としての生産性ということも重要なのだけど、アウトプットが明確ならば、それがどれだけのコストで達成できるかということなのだけれど、ゼロから何かを生まないといけない場所においては、まぁ『ワイガヤ』のパートナーってのも必要だったりするわけだ。画面越しでワイガヤをやってくれる人が居ないのですが、思考においての雑音ってことなのかもしれないけれど、良い雑音は思考力と共鳴して新規発想が出てくるツールとなったりします。ニューノーマルにおける『ワイガヤ』ってどうしているのだろう。

集中して在宅で仕事をずっとし続けて、給料は出ない土日を全部潰すなんてのは当たり前なんだけど、それはそれで好きでやっているので、個人的には問題無いんですけどね。パートナーが職場的に定量評価される時代なわけで、その評価手法が過去のまんまで旧態依然だったりするんですな。ちっともニューノーマルではない。評価手法こそ劇的に進化する必要があるわけだが、ひたすら遅いわけですよ。

ストレスマネジメントに優れているとか、メンタルが強いとかね。非財務事項で採用するとか契約を延長するとか、真面目に協調性があるなぁんて、そりゃぁそれはあった方が良いかもしれないけれど、すんごく尖がって、ゾーンに入るとべらぼうに凄いとかね。ニューノーマルと言いながら旧ノーマルに囚われて過ごすことが安定で良いという価値観に覆われている状況をなんとかしてみたいなと思ってはいるものの、ルール作りという旧態依然の仕組みにやったり囚われる私であります。