神様の依り代を割って頂く。何とも風流では無いですか。何日に何かということなどはどうでも良く、新しい年を迎えることが出来た感謝と今年の踏ん張りを神様に誓う、そんな風習が、小生の年齢位の民には根付いているところが良い。当然の事なのだけれど、親がやらなきゃ子はやらない。七草粥なんてしらないという25歳以下では殆どということも、まぁ、そうだろうなと思うのだ。正月行事なんて自己満足なのだろうと思うよ。
言葉で言うと「物心付いたあたり」となるのだけれど、お節料理だとか松の内だの七草粥だの、なんだか、呪いの呪文みたいで、それをやらないとそこから先、悪い事しかおこらないみたいなすり込みで生きてきたものだから、それらの行事を当たり前に実行するのだけれど、TVなどを見ていると、七草なんか知らないという若者がほとんどだ。知らなくても何も悪くない。知っていても偉くない。地球人類からみたら何%が知っているのか?マイナーである。
それを絞り込んで、日本の国ということであったとしても、元服の式が成人式に化けるの如く、その意味合いは時代と共に変わるし、意識も変わって良いのだ。食べなきゃいけないということはない。おせち料理なんて、何十万円もするものを購入するのが主流だが、新豆を茹でるとか五穀豊穣を祈るとか、そんなことを語りながら作るのも食べるのも、まぁ、数年も経てば消え果る伝承でしょうね。
一子相伝で伝わる伝統芸能の如く、折角、下田領事館で有名な「ハリス」氏が、日本の美学を残したいと言ったのに、明治維新で廃仏毀釈とかね、育ってきた伝統文化を完全破壊するような連中がやった明治維新から続く今の政権と日本文化だからね。たった100年そこそこの歴史の上の伝統だから、鏡開きなんぞやらんで宜しいという事だ。若い方が時代を作る。そうは思うが、まぁ、後、30年くらいは、年寄りの冷や水を許しましょうよ。それも寛容の文化なんて思うけど、甘ったれているかもね。まぁ、そんなものでしょう。