ミクロに見る

ハイスとか超硬とか、そんな名前で金属加工様刃物素材は呼ばれているわけですよ。金属で出来ていて、刃物になっているから随分と強いと思われているのですが、数ミクロンオーダーで観察していると、おにぎりのごはん粒の様に簡単に尖った部分が取れていく。目で見える「欠け」というレベルではなく、目視で解る人は相当の変人だ。いや、魔神の域に達しているのかもしれないが、金属ってこうやるともろくなるんだよというお話。

砥石の教科書と言えば昭和10年前後のものが最新で、その後はなぁんにも新しくなっていないところが凄まじい。そりゃぁ、天然砥石なんて旧石器時代から使われていたわけで、誰かが到達した化学的砥石が登場するまで数万年掛かっている。普通の砥石って金属に相当のストレスを与えるので、尖ったように見えて、中には多くの割れ目が入っている。科学的用語的には転位って言うんだけど、要は、金属原子が強さを出すために必要な位置に入っていないということ。

特にその悪さをするのがダイヤモンドだ。金色夜叉の時代から、ダイヤモンドは心をも折るわけで、金属なんてへちゃらに壊す。目視で解らないからそれを平気で売りまくり、そしてそれを使って道具を造りまくる。結果、車軸の折れる自動車や、突然火を吹く飛行機のエンジンが出来上がるわけだ。形を変えていく道具としては、速さと安さを兼ね備えた便利なやつなんだけど、使い方を間違えるとろくなことはない。

触れるか触れないかというミクロな現象から物事を考えていかないと、冷たく為って固くなって、要を成さないゴムの如くに、安直に物事を作ろうということになる。教育の仕組みを、いたずらに変えていこうとお上は押し付けてくるのだが、そう簡単に答えが出るものではない。目に見えない歪が大きなモノを破壊する。教育も正にそうだろう。人が人を幸せにする教育が正しい。競争だけでは無いだろう。そういうことだ。