遥かなるニューノーマル

出掛けても、その辺りまでの散歩程度だ。遠出して観光地へなどと思いもよらない。というか、ここまで怠惰に成るものかなと言うくらい出掛けなくなった。10km程度の散歩はするが、その程度でおしまいだ。奥三河の低山散歩など思いもよらない。人の思考は変われば変わるものだ。結局のところやれば出来るということなのだろう。TVを見れば多くの人で観光地が賑わっているように見えるが、それは番組の作り込みということなのだろう。観光地が潤い始めたなどのニュースは聞こえてこない。

ニューノーマルとか何とか言っていたが、この慣習はこんな風に換えると良いというモデルも誰も考えては居ないらしい。提案しても「それは無理」と言われるだけで変わる気配は無い。とてもではないが、独自の思考などで運営など出来やしない。まぁ、そんなものなんでしょう。こんな時、ミクロな現象論を追いかけてきた地味な研究スタイルが役に立つ。無限小に変化させながら状態を変えていく、あれだ。

熱力学で言うところの境界面における温度差をゼロにしながら、エネルギーを移動させるというあれだ。現象論的には、電子の状態を変えずに価電子のエネルギーを変えるみたいなもんだな。積分・微分が出来る状態と言えばわかりやすいか?まぁ、そんなところであって、見かけ上、何も変わらないんだけど、変わったことにも気が付かないけれど、機能が変わっているみたいな、そんな変身法が良いのであろう。

昔話にもなっている。歩みは遅くとも堅実に進むと良いということが。ただ、悠長に構えていて良いのか?ゆでガエルにならないのか?ニューノーマルって一体どんな状態の事を指すのでしょう。変わらないのは学問を積み重ねることが必要だという考え方なのだと思う。グーグル先生は答えのあるものしか教えないが、それで満足する教育しか成されていないのでは無いか。一体なんだかわからないから、そこに向かわないといけないと考えるか、他者がやったら真似をすれば良いと思うか。「そこ」って何処だ?考えてはいるが語る必要はあるまい。そんなところだ。