「おせて頂く」心の持ち様

研究者ってある種の「芸人」でありまして、他の人が持っていない芸を社会に示していく人達ですな。しかも、商売人とは違って、自らの特技において、相手を説得して買って頂くことは無く、刺激を受けた人が感動して受け取って頂くことが一つのゴール。聞き手の潜在的欲求を満たすという点において、正に芸人である。

芸を身に着ける上で、師匠の存在は極めて大きい。何も、手取り足取りが必要なわけでは無く、芸風というか、個性の塊みたいな師匠を持つことが出来ると、もうそれは生涯の財産ですな。その師匠との関係性においても、ぴたっとマッチングすることが大切で、師匠に使って頂く事が、そのまま芸の指導になるわけですよ。押しつけでは無く自然体。

「おせて頂く」というその気持ちを持つことが必須なんですけれど、これが最近、お目に掛かれない。今までお世話になりました、はい、さようならというのが昨今のトレンドらしいですな。まぁ、気にしないけど、嫌にはなりますな。あぁ、そうなんですねって。「そら、結構なことで」とお見送りすることにはなりますけどね。二度とお会いしない、そんな気になりますな。

「おせて頂く」ことは真理までであって、その上に自らの哲学を乗せて、そこから社会共通の新しい科学を生み出す。それを人々に笑顔になって頂く工学に転換していく。しかし商品となるのは遥か彼方である。「おせて頂く」ことから「つこて頂く」までどれだけの道のりがあるか。毎日、見えない笑顔に向かって、社会から「おせて」頂きながら「つこて」頂く日を夢見るのが良い。夢は遥かにあって掴むものではない。そう思う。