断捨離考

もう4年前になりますか、仕事場の書類や学術関係の雑誌や書物を電子化し、場所を空けて元素素材の格納エリアにしたのです。それまで20年来行ってきた研究が、まぁ、これでひと段落だろうという気持ちの切り替えもあって、一気にやりましたな。良くもまぁ、これだけの紙を取っておいたものだと、呆れましたよ。電子化したことで、読みやすくなりましたな。電子媒体は検索さえ出来れば良いので、それはUnixおたく時代に身についていたので苦にならず、その後で困ったことは無い。まぁ、どっかいっちゃったなぁというのはありますけど、何とかなっている。

研究人生、残り10年だなと新たに物を揃え始めたら、もう、その時の隙間が無くなってきた。これは再び空けねばならぬ。一度、絞り込んでいるわけだから、これがかなりの難行苦行。まぁ、でも、大したことは無いんだけどね。電子工作で30年も前の部品を引っ張り出して、動くものを作ってしまうと「やっぱりなかなか捨てられないなぁ」と断捨離の困難さと真っ向勝負となる。断捨離の記事などを読むと「取っておいても使わない」とありますが、実際に使って有益なものが出来るわけだ。本当に必要なものを取っておいたということだ。

電気の世界で案外、市場でもそんなことがあって、30年に一度、定期交換するというようなものが実際にあるんですよ。しかも一度に3個だけ。保守部品なんてどこも定常的に作っている筈もなく、べらぼうな値段で海外に製造を委託するしかない。断捨離、即ちジャストインタイムは、それを最終製品に持ち込んでいる企業の利益の為に存在しているだけであって、働く部品を作る側からすると、命を捨てるか注文主と縁を切るかの瀬戸際に立たされるわけで、大抵、命を捨てる側に立たされるのが日本の現状である。

限られた容積の中に無限の道具を放り込んでいくことは出来ないわけで、必要なものの選択・選別が成されていくわけだ。ちょっとの思い切りなんだよね。お仕事にしてもそうで、限られた能力しか無いのに背伸びをして、組織全体に迷惑を掛けるとかね。事業計画が無いのに予算申請しちゃうとかね。本当に捨てなければいけないことは見栄だったり、無意識の過去の踏襲だったりとかね、沢山ある。捨てなければならないものは凝り固まった意識であって、創り出したいのは変える勇気。そんなもんだ。