過去がお好きですか?

どんなに頑張ってもタイムマシンには乗れないわけですな。過去を変えようと願っても、未来を見たいと思ってもそれは叶わない。だから良いわけで、その時々の決断をどんな気持ちで成せるかだけが可能性としてある。その可能性があるのに、過去を振り返ったり未来を恐怖したり。人間とはかくも贅沢で我儘な生き物であることか。唯一、共通の時間軸であるから、こればっかりは言い訳はできない。その時の決断の責任は貴方にある。

自分の地位が何だとか、無視されたとか、なぁんか叫ぶ方が多いわけですよ。虫の目線と鳥の目線って例えられるわけですけど、両方を持っていないといけないわけですが、虫の目線視力が極めて強くて、折角持っている鳥の視力を有効活用していない。勿体ないではないですか。そう勿体ない。鳥の目線に立てば、過去を反省し、未来を予見することが出来る。出来ると言っても自分が見下ろしている世界だけなんだけどね。いきなり頭上から雷が来るかもしれない。それが現実である。

自分が活動している世界が全てか?そんなことはあり得ない。どんなに頑張って「俯瞰しています」と元気よく答えても、それ以上のことってありますからね。適当なところで、自分にとっては満点だと思うしかない。それ以上の価値の定規を当てられたら、あぁ、10点だったんだなって、それではそっちの定規でもう一度やってみるかって、元気出すしか無い筈なんです。でも挫折レス世界の住人は、自分の定規だけが真正と信じてしまう。

どんなに未来を想っても、その未来の人からすれば、それは現実であって、その瞬間にはもう過去なのだ。今の人が恐れる未来における価値なんて、その瞬間を考えれば反省の一要素というだけである。だから先へ先へと進まねばならないのだ。先へ進む唯一の方法は自分の時間軸を放棄することだ。世界で最も先に進んでいる時間軸を取り入れ続けることだ。今が良い?そんな方とは二度と逢うことは無い。逢いたくも無い。常にゼロから数字を生む。美しい思考だ。