専門家馬鹿

日本人の苦手なところとして、領域横断型の話し合いがあろう。先日は究極の領域横断型を体験させて頂き、小脳がぐるっと周回運動をしたかなというくらいの活性化を頂いた。専門が細分化されたためであろうか、誰が一番専門に近いかという観点で、リーダーを決めてしまいがちになる。リーダーというか主発言者という方が良いかな。それで良いわけが無いんだけどね。

専門家なんてものは過去の愚物ですよ。過去に囚われる最もおかしな人種。イノベーションがどうのこうのと言っているくせに、自分の価値観が最も高いと思っている。何と醜い人種であろうか。脱専門家というキーワードを健全で明るい未来という枠にはめてみると、なんだかワクワクしてくるではないか。日本が科学技術立国で無くなったのは、専門家という呪縛に囚われたからだ。

専門家は新しい概念を嫌う。自らを否定されたのかと瞬間湯沸かし器(死語)の如くにヒステリックに、自らの過去を盾に新規提案者を亡き者としようとする。そんな社会であることが解っている若者は、積極果敢に挫折を恐れず起業を目指す。応援致しますよ、なんぼでも。徒党を組んでベンチャー支援なぁんてのも猛烈に思考停止だな。数があれば何かが起こると思っている。正に専門家馬鹿だ。

何かの専門家であるならば、全く異なる文化の、スーパー専門家の議論を覗いてみるが良い。チンプンカンプンとしか言えないならば、もう貴方は専門家では無い。自らの専門分野も猛烈に強烈に発展し続けているのだ。そのほんの一部に携わっているに過ぎない。その謙虚さと他者への尊敬こそ、専門家としての尊厳である。自分の行動様式が専門家になってしまっているのであれば、直ちに自らを飛び出して客観視するのが良い。週末はそんな日にしてみるのも宜しい。