新常識?

約束場所に待ち人来たらず。これ程、がっかり&悲しいことはない。片想いの思い込みで勝手に待っているのとは訳が違う。メールなどとも違う。人と人とのリアルな約束、しかも将来が掛かっていると、待ち人側が思っていたとして、その相手が来なかったらどうだろう。例えば小生が面接員で、その相手が無連絡で来なかったとしたら。しかもその相手が旧知の推薦で逢って話をするのを楽しみにしていたとしたらどうだろう。

何というか、その昔、ゆとり教育というお話があったじゃないですか。暗記一辺倒ではなく、チームで解決するとか討論が出来るとか、なんかそんな教育をしていきましょうというやつ。それそのものは正しいと思いましたよ。ただ、そのやり方が現場任せで、指導要領の教育項目を大幅に減らして、野原の観察とかね、まぁ、それもやりようによってはとても良いのですが、行列を教えなくなったとか「えっ、なんだそれ」みたいないことが多くありました。

反動で今は詰込みに戻っているわけですが、それもどうかとは思いますけどね。何が言いたいかと言えば、苦労するのは当たり前、努力させるのは当たり前、痛みを伴う人生も当たり前、駄目なものは駄目等々、人とのお付き合いの中の当たり前が教育されていないというか体に染みついていない。民度ゼロ学生が就職に臨むとどうなるか?内定を何処かから頂戴した時点で、面接時間を頂戴していたお企業様をすっぽかすという我儘発散に出る。まぁ、就職支援のあり方もいかんのだとは思うけどね。やっぱり人だよね。

約束ってしたことが無いのかな?怒られるからやる、不利益を被るからそうならないようにだけ自分主体で行動する。自律主義で客観視が出来ないというか、最初から概念が無い。どうやったらそんなふうに自己中心的に生きられるのだろう。どんな神経構造なのだろうと思ってしまうのは老人力に満ちているからだと、脳みそが永久凍土だからと現生人類は言うんでしょうけど、だったら永久凍土人が居る世界に来ないで頂戴。いや、きっとそんなコロニーがあってコミュニティが出来ているのだと思う。そっちの勢力が近未来にこちらを圧倒するのだろう。まっ、しょうがないか、撒いたつもりは無いが、撒いた種が芽を出して実を付けたということだね。