立春を過ぎ昼間の日差しは確かに春の気配を感じるのだが、今朝などは上弦の月の周りに重い雲の層。良くみると、駐車場の車のボンネットにはちらほらと雪の粒が乗っている。温暖化による寒気はやむことなく、一体、いつまでシベリアの空気を日本に送ってくるのやら。日本海側各地は大雪が続き、一晩で1m以上の積雪を観測するところが出ているよう。そう思うと、名古屋というところは台風も無く大雪も無く、地震も無く、なんだか妙に天から無視されているような一抹の寂しさもあったりして。
先週は東京、岐阜と所を変えて司会業に勤しんだ。最近は研究からとんとご無沙汰なものだから、司会だけに引っ張り出される始末。今週も東京で司会業。だんだん職業が変わってきたのではないかと、Youは何者と聞かれた時に返答に困る。そもそも論で、教師なんてものは壇上で司会をしているみたいなものだなと、改めて思ったりもする。相手が大学の総長だったり、お役人だったり、企業の社長殿であったりと変わるだけで、聞き手のパフォーマンスを引き出して全員がそれぞれの底力を上げていくお手伝い。あくまでも黒子なんですな。
それが市長とか知事とか学長とかになると違ってきて、これは自らの意思で向かう方向を示さねばならぬ。大学は質が悪くて、その昔の調整役で言うことなんか聞かなくても良いと考える構成員が殆どだから、中央政府とかみ合わないこと甚だしい。研究費も自分の金みたいに思っちゃったりして。勘違いをし続けるとそれが正義になってしまうのが人間の弱さだな。そもそも神様と違って人の意思には絶対値が無いからね。昨日は基地に反対して、今日は銭をよこせとなる。年中、道路に穴を掘っている日本だ。公共投資という名の税金の無駄遣い。
科学の探求と技術の活用。それがお勤めであった時代を懐かしむなんて気持ちはさらさら無い。むしろ、雑音が消えて純粋に思考に徹することが出来ているかもしれない。そりゃぁ、紙と鉛筆を持って図書館にこもっているほうが幸せだ。古いインクの匂いに酔いしれて、果てることなく古い学理を貪る。多くの科学を技術に換えて自動車などは出来ているわけだが、それにしてはリコールの何と多い事。技術を金と天秤にかけて利益を追求した結果だろう。真理の探求こそ学生は突き進むべきで、教育者はその黒子に徹するべき。良い黒子の歌舞伎は美しい。出しゃばりの黒子が世の中を崩壊させる。そう思う。