ネズミの時間、ゾウの時間みたいなお話があって、これ、かなり気に入っているというか気になっているお話でして、最初に聞いたのが小学校5年生だったと思うのです。M崎先生が「生き物の心臓が生涯でドクンドクンという回数は決まっている、だからネズミよりも象は長生きなのだ」とまぁ、もっと複雑なことをおっしゃったのかもしれませんが、学校大嫌いながきんちょだったから、この程度しか覚えていない。間違いなくM崎先生が言ったのだということだけは覚えている。
ザリガニが脱皮するなんていうのは、池上本門寺の裏の池でイカを餌に釣ってきて、飼っていたから知っている。脱皮をするたびに大きくなる。脱皮が出来ないと死んでしまう。あるいは、無防備だから敵に食べられてしまう。生きていくというのは大変なことだなと思っていた。それに加えて心臓の鼓動の回数のお話が加わって、極力脱皮回数を少なくして、おとなしくして、心臓を動かさなければ長生きするのだという妙な図式が頭に浮かんだわけだ。そのくせ、休み時間には校庭中を走り回っているのだから暢気なものだ。山登りなんて心臓鼓動レースみたいなもんだ。
で、組織改革ってやつも、なんかこれに似ているなと思った次第。ある方は「これは十年後で良いよね」と、そのまんまの世界で生きる。脱皮しない、おとなしいから鼓動は止まったまま。一方で、外の世界は猛烈な勢いで動いていて、「明日までに脱皮して、100km先のゴールまで行け」と迫ってくる。改革反対の方々の時間軸に合わせていると組織そのものが沈没する。組織の鼓動を停めるか、違うステージに上がって、心臓移植して1回目の鼓動から始めるか。
当たり前の話なんだけど、心臓移植の道を選ぶわけですが、賛同して頂ける方は、大略2割くらいなもので、「大丈夫だ、象もネズミも15億回の鼓動で死ぬが、人間はそれでいくと26年強の寿命しかない。しかし100年を超えて生きているでは無いか」と平穏無事なお答えを頂く。う~ん、確かになぁ、そうなんですが、話によると、咀嚼も関係あるそうだ。歯の健康が寿命と関係していると言われ始めたのは最近のことで、鼓動だけではない。だからこそ、あらゆる方面で脱皮して、心機一転を繰り返す必要があるのだ。止まってはいけない。常に新しく無ければ。明日が待ち遠しいなら新しくあれ!