微分しようよ

「丸って何?」と、丸という言葉を知らない人に「こんなものの事を丸いというのだ」と、改めて辞典を調べてみると「まるとは、1まるい形、円形、また球形」なんてのが出てくる。それって意味付けになっているのか?六角形などの鉛筆を市場に出した際の知財の文言が有名で「丸では無い形状」ということなんだけど、そこにおいても「丸」とは少なくとも鋭角、鈍角、水平を有さない状態ということで、楕円も丸、球体の等映像も勿論丸ということなんだ・・だけど腑に落ちない。

丸って何と聞かれて「丸いもの」って答えたら〇獄少女さんが出てきそうで怖い。丸モノを作るのは難しいなぁと、真円・真球を作る努力が延々と続いているのだが、この「真」がくっつくと基準点が生まれ、そこからの距離とベクトルが定義できるから愉快だ。基準点の有難さである。円形の刃物を作ろうと思った時に、その治具を作るのにも加工する道具を作るのにも、凄まじく苦労するのだ。それ専用の機械があって、それが終わることなく深化を続けている状況を見ても、「丸」という形は人類が求め続けるものなのだなと妙に納得するのだ。

丸からスタートしたのだけれど、角(これも曖昧表現)とか水平を持たない形状何て行ってしまうと、ぐにゃぐにゃした角の無い歯車形状も丸か?なんてツッコミが入りそう、いや、自分が突っ込むだろう。共通言語で会話できないと、意思の疎通なんて出来るはずがない。「そんなの当たり前だろ?」と言われても「定義すら分かりません」なぁんてね、そんなことが身の回りに溢れてきている感じがする。感染者数という数字に有識者が「感染者と症状が発現している者とは違うのだ、後者は極めて少ないからオリンピックは平時の通りに出来るのだ」とのたまうが、感染者は他者にウイルスを媒介できる者という定義にするとえらく恐ろしい。

単に、丸棒として売られている棒は決して丸く無くて、それを丸くして使うんだけど、丸という言葉だけ見ても意識の具合はまるで違う。基準・水準が必要で、それにも理由が必要になる。きっちりと1対1にしか読み取れなく作り込んでいくと論文になる。まぁ、そんなかしこまった会話や文書のやり取りだけだと面白みは無いし、イメージ力も育たない。かと言って、共通認識を持てないようでは対話にならない。少なくとも基準とそこからの微分値を共通認識として持ちたい。投資が生んだのは何?投資しなかったらどうなっていて、投資したからどうなったの?報告書ってそれだけで良いんだけどな。難しい。