フィルム文化

梅雨に入り急激に蒸し暑くなった。平年よりも20日程度の早い梅雨入りで、全てがジメジメの海外からのお客様がびっくりする気候である。上着を脱ぐと、シャツがべったりとなって気持ち悪いことこの上ない。そうならないシャツ類もあるとのことだが、そんなものを探している間に梅雨は終わるので、気にしないことにする。気にしなければならないことは山ほどあるわけだが、気にしなくて良いものはほったらかすことにする。そうなるとまるで政治家だなと苦笑いである。

「写真」を趣味にしているわけだが、梅雨は実は撮影チャンスが結構あったりするのだ。カラー写真家の方は晴れ間が大好きなわけだが、モノクロ家にはピーカンの照った空だとありきたり過ぎる。薄暗く、水と空気が混在した景色の質量感。撮影、現像、焼き付け、額装、その時の感激を取り戻そうと、ストレスの彼方に行ってしまっていた趣味を取り戻しつつある。

趣味はそれだけにとどまらないのだけれども、少しの古いストックがあるので、それで試運転的にやっていこうかなと思っていたら、富士フィルムがいよいよプロ用のフィルム販売から撤退されるとのこと。機械式カメラ資産をどうしてくれるんだと文句を言っても仕方が無い。破壊的イノベーションをくらった末路がこれである。まぁ、しばらくは市場に残ってはいるのだろうけれど、絶望的ではありますな。いよいよ展示するだけのゴミとなってしまうのだなと苦笑い程度は出てくる。

機械式カメラが、フィルムが無くなってゴミになるまで100年程度掛かったわけだが、それは今の携帯電話やPCなどと比べれば随分と長生きだったと思うのだ。贅沢品から出発して、写ルンですとか中学生の修学旅行のお供の時代を経て、ついに無くなっていくフィルムカメラ文化。発展と進化を遂げ続けるデジタルカメラだが、「そこにあるもの」と対峙する撮影の心地良さは変わらないのだと思う。富士フィルムさんのプロ用フィルムからの撤退記事を拝見して、あぁとため息をついた。それだけ。