底の無い心

「私はこれを達成しなくてはならない!」とか、「何かの達成を求められているんだけど、もやもやして分からず辛い!」とか、悲痛な叫びは心の中に必ずある。自分だけでは出来ないと分かっていても、相談を誰にも出来ないとかね。辛さが辛さを呼んで、更に辛くなる。曇天の下、無限に広がる墓標のど真ん中に立たされたような、逃げ場のない、脱出出来ない辛さがそこにある。あるのだけれど見えない。辛いという現実も、辛いという心の中に収めてしまっているが故に、助けて欲しいともがいても、外部世界には届かない。

心に底があるのか分からない。底なしのような気がする。底なし沼にはまったことは幸いに無いが、ドツボな閉塞感なら幾度となくある。脱出出来たのなら大したことは無いと言うんでしょうね、外野の皆さんは。誰も助けてなんてくれないよ。孤立無援って、本当に孤立するから。定量的にゴールが存在する仕事の存在は有難い。そこがトリガになって何かが動き始めるから。それを与えられなくなると、これは危ない。そうしてはならない。

基本、複雑怪奇な生命進化で作り上げられた人間だから、何処かしら弱いに決まっているんですよ。目に見えないコロナウイルスなんてものが入り込むと、バランスが崩れて死に至るんだから。精神と肉体って言葉を大昔から聞いているから、先哲の方々も肉体という物理的なものと、精神という哲学的な世界があって、哲学世界な世界が物理的世界のあり様を左右するのではと議論を続けてこられたのであろう。何故悩み、落ち込み、孤立化していくのか。無限に悩みが生まれ出るし、外部から持ち込まれる。

全ての人が異なる精神世界を持っているわけだから、心の持ち様も人それぞれ。ギリギリのところから折れてしまっている状況で、今を保つわけですよ。折れかかった心の柱同士のバランスで今がある。多くの人がそんな状況にあるのだと思う。出来ると思うから。出来なくて良いんじゃないの?だって出来ないんでしょ。出来ないって。そんなもんだよ。少なくとも金曜日の夜はそう思って、出来ないことは月曜日に送ってしまおうよ。それで良いって。