突然

その昔、バブルが弾ける前のこと、小生が学生だった頃、材料の基礎研究をやっていると、どっかに就職先があって、先輩も大勢、勧誘に来て頂けた。先輩方から「こんな職場で海外と行ったり来たりで燃える毎日だ」なぁんて聞かされて、その気になったらバブルが弾けた。いや、弾けたと言われるのは1991年と言われているけれど、分野によってはその前から怪しかった。その怪しかった分野に居たわけで、お仕事なんか無くなってた。コロナで就職活動が大変なことになっているが、しっかりと自分が企業を通じて活躍させて頂けるのかを考えて、進路を決めて頂きたい。そして簡単に辞めないで頂きたい。

突然「一身上の都合により退職します」とメールが届くわけだが、「なんじゃこりゃぁ」となるわけで、何が悪かったのかと考え、そして「きっととっても良い待遇で引き抜かれたに違いない」と諦めの方もついでに考える。出来れば後者の方が有難いんだけど、きっと両方なんだろうなとがっくりくるわけだ。何で狭き関門を通り抜け、他の希望者を弾き飛ばし、たった一人の勝利者になったのに、都合で辞めるってメールを送っておしまいという現状に出会うと、バブル期の企業の対応を思い出すのだ。

野球場に呼び出されて「はい、5回が終わって試合は成立しましたね。ところで今回の内定は無かったことになったから。それでは最後まで野球を楽しんでね」と笑顔で立ち去る就職担当の皆様なわけだが、日本の企業のご都合って今も昔も変わらないのだなと〇経新聞などを読んでいると感じるわけだ。自社だけが儲かれば良くて、全日本連合なんて有り得ない。何故日の丸半導体が凋落したか?正に自社だけでやる、時間が掛かってもやるというバブル前の脳内シナプスの配列が変わっていないからだ。半導体だけではない、囲い込みの私物化の連鎖。古くなっても要らなくなっても舵を切ってものんびりとしか方向が変わらない。いや、舵を切ることなどしない。

ワークライフバランスとか、ダイバーシティとかいろんな単語が飛び交うけど、残業代を支払わないテレワークが常態化しているとも聞く。真逆に最初から残業という概念など無く、ワークシェアが当たり前のお会社もある。血をにじませる程の努力は嫌いでは無い。それは小生にとっては当たり前のことで、空気を吸うような感覚で受け入れてしまっている。そうではない人達が社会の中核を担っているわけで、その方々が発言できる環境が無ければならぬ。突然「辞める」ことも彼らにとっては当たり前なのかもしれない。そんな感覚にならなければならないのか。でもなんかどっかひっかかる。古いのだろうが、馴染めない新しさもある。まぁ、そうだと思うよ。