何でも出来る?

出来る人って本当に何でも出来てしまうんでしょうね。どんなことにもちょっかいだして、口をはさんで。凄いですよ。代案出さずに否定するとかね。きっと何でも出来るんでしょう。一人組織みたいな。恐らくなんだけど、ジャングルみたいな山の尾根を一人で歩いていて、どちらに進むか迷った時に「こっちに行こう」って決断は、ひょっとすると出来ないタイプに「何でも出来る人」っていらっしゃるような気がする。生き死に掛る時こそ決断の時であって、火の粉が及ばない距離にいらっしゃるにも関わらず、風だけは送ってくるみたいな。

会議なんかに出現するんですよ、何でも出来る人。国会答弁なんかそんなのばっかりなんだけど、まぁ、あれは仕方が無いかなと諦めている。そうでは無い人達がどんどん端に追いやられる不思議な現場だから、こんな議論で税金の使われ方が決まるんだと、TVや新聞を見てため息をつくばかりではあるが、何でも出来るひとの猛威は凄まじい。気が付いたら領土が減っちゃっているのかもしれない。情報まで抑え込んでしまうからね。

もう一つ、何にもしない人というカテゴリもある。お願いしてものらりくらり、いつの間にか見えないところにいらっしゃる。姿は良く見えるのですよ。存在していることはアピールしたいのでしょう。しかしてその実態は存在のアピールのプロであって、ワークミニマムを実践する作業のプロフェッショナル。最早、DXで消えている筈なのに、何故かそこに存在している。

恐ろしいのは何もしないのに何でも出来る状態にある人。この人が現れると会議は霧散、生産どころか破滅に向かう。年に1,2度だけど遭遇する。逆に何でも出来て何もしないというパターンもある。この方こそ必要な人物で、お願いをさせて頂くと、方向を示して頂ける。こちらの技量を慮って、成長する程度に上方修正を掛けながら方向性を示して頂ける。素敵なんだけど、聴覚鋭くアンテナを高くしていないと見逃してしまう恐れがある。人との出会い、微妙であり、人生の機微の楽しさ。それを楽しみたいが、なかなか難しい。そんな時代なのかもしれない。残念だけどね。