国民体育大会は中止でオリンピック、パラリンピックは開催。国民の健康を願うイベントは中止で商業イベントは開催。日本のあり様を映す鏡として極めて明瞭である。自らの健康は自ら創り出さねばならぬ。医療保険も使わなければ医療年金の駄々洩れも少しは減るだろうとは思うが、今のコロナ禍の状況ではいかんともしがたい。これこそ非常事態だからやむを得ないのだが、それにしても無策の国家であることを臨んだのは有権者だから、甘んじて受け止めねばならぬ。
例によって大風呂敷から入ったわけだが、小さな話でお茶を濁す。お茶を濁すという言葉も不思議だなとは思うが、まぁ、ご自由に調べて頂くことにして、健康創りのお話。運動はやり過ぎなければ健康には良さそうだ。血の巡りを良くして、体中の老廃物を外に出してくれると信じて行動するわけだ。お盆休みの前から天候不順で、お馴染みの自転車通勤が出来ず、唯一の運動が停止してしまっていた。それが昨日から再開することが出来、精神的にも極めて心地良い。
夜明けの時刻が5時を回っており、宿舎を出る頃はまだ薄暗い。雨で地面が冷えているから、風が冷たく感じられる。その風の音を聴きながらペダルを漕いで八事を越える頃には汗が流れてくる。その後は川名公園を横切って、川名通りから大学に向かうと、そこから延々と緩やかな下りになる。自転車だと良く分かるのだが、平らなところが殆ど無い。一宮方面に出掛けると異様に平らだなと感じるのだが、緑区、天白区、昭和区は起伏が多いと感じる。この起伏が全身運動を促進してくれる。
丸2週間以上も運動から遠ざかっていたわけで、精神的ストレスのはけ口が無く、誠に持って不健康極まりない毎日である。たかが自転車通勤だが、30分以上、100を越える心拍数を維持するわけで、内臓の強化的にも良いのではないか?走っている時には面白い事に嫌なことは考えることはしないようだ。脳が勝手にそうなるのか面白い。そんなことを考えながら走っているわけで、愉快なひと時である。満員の地下鉄でウイルスに怯えることも無い。小学生から始めたサイクリングだが、未だに続けている。習慣とはそういうものだろう。