その方にご面識を頂いたのは、もう、何年前になるだろうか。ずけずけとお話をさせて頂き、のけぞって頂いた初対面であったが、今も、実に親しくお付き合いを賜っている。こんなに有難いことは無い。最初にその地域を訪れたことは学会ではあったのだが、そのお方とは共同研究という形で、毎月、飛行機に乗って、一泊して名古屋に戻るというスタイルは、なんだかとっても温かかった。そのお方と、そのチームとお会いすることに対して、心待ちという表現が適切だったろう。いろんなご迷惑もお掛けしましたけどね。

中小企業に限らず、創業家の方が年を重ねられて延々とそのポジションに居続けられるという事例は五万と拝見してきた。そのお方の潔さたるや。とても真似は出来ないなと、ある意味、あっけにとられた。見事である。つぼみのままお花見の場から千本桜がフェードアウトしたかの如くだ。さぁ、これからだ!というところでの、そしてお仕事人として、人として正にこれからというところで、惜しむ、惜しまないの暇も隙も与えず「退任しました」のご挨拶状を送りつけてくる。やられましたね。

華の人とはこのお方のことを言うのでしょう。まぁ、余りにもお見事で、思わずふざけて、いや、正式に、お会社の代表を通じてご面識を頂戴してしまいましたよ。携帯など使わずに。水臭いと仰っては頂きましたが、節目で御座いますからね、こちらもそれ相応の悪戯・・じゃない、ご対応申し上げないと。リスペクトが無ければいけませんね。まぁ、どなたがお出になるかなという楽しみもありましたけど。

コロナ禍で対面が出来ないことを悔しく思ったのは初めてである。今直ぐにでも飛んでいきたいものだが、それは叶わない。両親に逢えない等々、遠方に離れている間柄での寂しさまで学ばせて頂いた。これが人と人とのお付き合いであろう。そして、まぁ、そのうち必ずお逢いさせて頂けるさという暢気さもあるのだ。これっきりという、理不尽なお別れがやってこないと自信があるから。それがお付き合いだろう。これからそんな出会いを持たせて頂けるかしらと、残りの人生、不安だったりして。やはり素晴らしいのは人である。