自分の言葉は自分からしか出ない

雨である。雨になると仕方なしに地下鉄通勤になってしまう。運動不足とコロナ禍の両方のネガティブ要素が入ってくる。地下鉄には既にワクチン接種をしたから大丈夫だと言わんばかりに、ノーマスクでせき込む方がいらっしゃり、思わず席をずらしましたよ。これはニューアブノーマルの姿と言っても良かろう。ニューアブノーマルと言えば、緊急事態宣言は12日から月末までの延長になるらしい。この微妙な線はどこから来るのだろう。まずは月末まで引っ張ってGoToということだろう。

いつまでも県外に出ていくのはいけませんと、言ってはいられないというところなのだろう。新規感染者数としては減少傾向にはあるようだしね。でも、40℃の熱が出て、軽症だから家に帰れと言われて亡くなってしまうような現状において、収束してきたとか、世界的に感染対策の成果を認めて頂いているとか、良くもまぁ言えるもんだと、厚顔無恥さに呆れるものがある。品川ナンバーの車を名古屋でしょっちゅう見かけるしね。

細切れの延長で過去、全く効果が無かったのに、それを繰り返すトップと、それを認める国民と。マスコミは無反応だしね。忖度なんて単語も何処かに消えてしまった。正しい情報が何処にあって、それにアクセスるにはどうしたら良いのか?そもそも偉い方から提供される情報って正しいのか?それを疑いだしてしまうと、もうどうにもならない。行動指針を立てられない。DXに至らない理由はそこにあろう。

「こんな価値を市場に生み出しましょう!」とベンチャー企業の有名人が叫ぶわけだが、それは解るんだけど、何をどうすれば?とは決して語らない。逆に、「こんなに良いものがあるんだ!」と絶叫するエンジニアは、誰がどれだけ嬉しくなるのと聞くと何も語らない。GoToで市場にお金を落とさないといけないから、取り敢えず月末まで引っ張ってみようということだろう。その間、検査数もぐっと減らして、気持ちよく旅行にいけるようにしよう・・て誰かが何かしているのかと疑いたくなるが、疑う根拠もない。さて、何が正しいのか。先ずは自分の行動に基準を持とうではないか。自分の行動、言動は、自分からしか生まれないのだから。自分が正しい理由を語れるのは自分だけだ。それだけだ。