当たり前なんだけど、無駄に生きてきて、怠らずに良かったなと言うのは知的謙虚さというか学び続けてきたことかな。学んで何かなったかと言われると何もないですよ。何も無いという事は「足りなかった」という経験が無かったという事で、まぁ、平準にあったのかということだよね。何も無いと感じるためには学びの貯金を溜め続けるという事、時々使って財布を空にして、新しい知識でそれを満たすこと。
なかなか難しいなと感じることは、技術が社会や自然に及ぼす影響が地球規模になっていること、そしてその責任が地球人類全員にあるということ。誰も「私は関係ない」という事は出来ない。威張っている人は居ますけど、一つの星の人達ですからね。地球的規模で眺めれば、特に気候変動などは経済云々第一に地球人が動いてきたからでしょ。百年後を見据えて動き始めないといけない。
選挙下において、半導体素子製造企業誘致に対して税金の投入の是非が言われていますけど、東芝半導体が沈没した時に税金投入は無かったわけで、そんなところと比較するとどうかなとは思います。が、国内の半導体用ケミカル(基板も含む)や製造機器企業は、その価値において世界トップを走っているわけで、国内にそれを消費する価値創造企業を誘致するという事であれば、そして、CPUという、永遠に発展を続けないといけないものに対して、安全保障という観点からもやむを得ないのだろうなぁと。これも、教育・研究に対してお金を出さず、GoToみたいなところにだけお金を入れてたツケが回って来ただけなんだけどね。
科学・技術、そして情報を活用して、社会の未来の要求を先取りするようなストーリーを描く教育が成されてこなかったという事だ。エンジニアリングデザイン能力の涵養ということなんだけど、これに関してきちんと講義が出来る人の育成も成されていない。論理的な記述力、口頭での説得力、そしてコミュニケーション能力が極めて大切。自らの研究テーマを社会価値と勘違いする人々の何と多い事か。