病は気から?

人が健康で生き続けるというのは難しいなぁと、コロナ禍で痛感した次第。小生が覚えている最初の「納骨」儀式は、癌で亡くなった伯母のもの。それ以来、癌という単語がトラウマになり、不治の病と言えば癌と脳裏に刻み込まれている。近年でこそ、5年生存、10年生存、それどころか除去によって完治するという事例も見受けられるようになってきた。それでもやっぱり癌という単語は小生にとって極めて恐ろしい単語である。

壊れやすい遺伝子であるから、平常細胞は容易に癌化してしまう。人工的化学物質の接種だけではなく、自然発生的にも十分にあり得るわけで、確率論的に癌細胞を体内に宿すことになる。年齢を重ねる程に、癌細胞の増殖速度が低下するというのは何となく皮肉だが、それはそれで周囲に生活している人間にとっては、ある意味ほっとする出来事である。加速器とか化学薬品を扱ってきた身にとっては、常にびくびくしていないといけない。

不治の病というのは癌ばかりではない。失明に繋がるもの、肺炎に繋がるもの様々だが、いずれにせよ、生命を宿すものの宿命だ。それらに憑りつかれることなく天寿を全う出来る者は果報者だ。現世か前世か分からないが、余程の善行を積んだ方なのでありましょう。段々と寿命が無くなってくると、いろんなことを考えるようになるわけですが、単純に断捨離していかなきゃななぁんてのもそうだし、出来ることなら病の断捨離をさせて頂きたいものだ。

選挙の度に暗くなるわけだが、前にも言ったけど、政治に参加しない国民が多過ぎる。何をやっても変わらない?本当か?何かやったのか?マスコミを鵜呑みにして現状維持に突き進むか?それも国の疾病というものだ。ちょっと山間をドライブしてみると、畑のど真ん中に巨大な工場が出来上がる。農地を破壊して食料自給率を下げていく。山にはやせ細った杉の木が林立し、本来の山の機能を果たさない。我が国の自然環境でなければならないことも沢山あるだろう。教育とて同様だ。国も人も不治の病に侵されるということか。悩みは尽きない。