もう、どうでも良いのだが、元副大臣が疑いを掛けられて事情聴取を受けようが、まぁ、国民が承認したのだから、それが民意であり民度ということだね。日本にも真面目にものづくりをしていた時代があって、この週末に1955年製造の、とあるものを調整していた。時間的には1~2時間で済んだのだが、それに着手するまでが数日を要したことが笑い話。断捨離が出来ていないとこういう時に無駄な時間を要するのだと、とある方が仰った「思い出はいつかゴミになる」という名言を思い出さざるを得ない。まぁ、この季節、大掃除も兼ねているのだが、埃を取り除くのと、床に乗っかっている物品を撤去するのとはわけが違う。そこに鎮座していた歴史を成仏させるのだ。
断捨離とか簡単に言うのだが、バックキャスティング的に考えれば、亡くなった時に、近郷近在の人々に迷惑を掛けないと言う事を考えれば、徹底的に成さねばならぬ。就寝用具以外は全て消し去るのが本質だろう。しかし、煩悩の塊で生きているわけで、そうそう、分別ごみ袋に放り投げる気合が足りない。こんなものはもう使わないと、未来を考えると捨てられないが、断捨離は存外、フォアキャスティングだと実行できるなと思った。そもそも1年、使わなかったものをこれから再び使うはずが無いのだ。書物やレコードなど、文芸に関するものはそうでは無いが、いや、これとて怪しいが、電子機器やケーブルなどはとっとと廃棄すれば良いのだ。
テレビで拝見した断捨離の方法なのだが、引き出しの中身などは段ボール箱に、ばぁっとあけて、そこから必ず使うものだけを拾えということなのだが、ドル札の束とかそんなものまで出てくる始末。これは捨てる必要は無かろうと苦笑い。オーディオ機器のセッティングを進めながら、何しろ、500μmの純銀線のはんだ付けだ、失明寸前の視力ではきついきつい。それでもなんとかこなして「新世界から」のLPレコードが、その昔の音色を取り戻した時は、オタクエンジニアで良かったと、ちょっと幸せを感じましたな。プロの機械だから必ず戻る。いや、そりゃぁ、回転軸とてすり減るだろうが、全て分解してグリスアップして組み直し、5μmのがたつきまで感じる指先で満足したメンテが出来たのだし、耳で覚えた音階のストーリーが戻ってきたのだから良しとしよう。
モノをいじって形にしていく。オーディオ趣味者ではあるが、ウルトラ最新のデジタル音響設備を使いこなしているわけでは無い。アナログ時代の化石人種が、音響を語ることははばからねばならぬのか。バイオリンのE線が奏でる響き、木造のバイオリンの胴鳴りなら体に刻み込んでいる。それでは駄目なのか。デジタルで無ければ許されないのか?レコードの欠点は、回転速度が一定ということだ。外側と内側で分解能が変わってしまう。それでもSP程の回転速度であれば、圧倒的な音の問い掛けに出逢う。問われて応えない、正しく問う事すらままならないデジタル人種と言ってしまうと「老人」と無視されるが、老人力も捨てたものでは無い。音も味覚も、アナログだ。小馬鹿にするなかれ。