STEM教育とか言ってね、まぁ、理科好きの子を増やして、理科好きのまま育てることが出来れば、そのまんま日本は科学技術立国になるぜって幻想的な見せかけ旗印なんですな。悪いとは言いませんし、やるなとは決して言わない。言わないけど、博士課程を卒業したら、就職先が極めて限定されるとか、学費を払って入学金まで取られて、挙句が就職できないのでは誰が一体、その道に進もうと思うかだ。働きながら博士号を取るとかもあるんだけど、大切なのは頭が柔らかい時に、思いっきり、もう、これ以上学んだらあっちに行ってしまうというくらい、脳を鍛えることが大切なのだ。そこで初めて思考が柔らかくなる。
おまえはどうなんだと言われてしまうと二の句は継げないのだが、それでもぎりぎり限界までは学んで、思考して、挫折したよと申し上げることは出来る。ガマの油売り大学の陸の孤島が功を奏したんだろうけど、今の時代にあれをやったら、全員、折れてしまうんだろうね。先日、某お方とお話をさせて頂いたのだけれど「弱いよ~、折れるよ~」と同様のことを仰られましたな。もうその通りだと実感しています。パワハラ、アカハラと、弱者の訴えだけが美辞麗句となり、必死に頑張って、指導しようとしている教育者が糾弾され、そしてそれに賛辞が与えられる社会だ。やってられませんな。
さっきのSTEM教育に戻るんだけど、数学は、もう、とことん、興味がある子にはアシストして、その才能を活かして頂ければ良いと思っています。数学だけの大天才で、10歳で博士号出したって良いんじゃないですか?もしもその域に達していると評価されるのであれば。科学や工学は、哲学とか文学とか、文化人類学とかね、芸術は勿論の事、人間が人間の活動に謎を持ち、そして美しいとか、悲劇とか感じられる感性を養ってから挑戦して欲しいのですよ。単に、上司に言われたから何かをやるとかでは無くてね。コンテストのために何かするとか、頭の良い馬鹿を育てないで頂きたい。大人の欲目で子供の才能は消失していく。
「わぁっ」という驚きが必要なのだ。それは単に科学的興味だけでは続かないと思っている。そして発展させられないと思っている。実体験からそうだ。三つ子の魂百までまでで、その感動と驚きに、宇宙の神秘、自然の摂理を深く学び、そして人が人のために己の力を活かす素晴らしさを感じることが出来、その後、科学だの工学だのを学べばよろしい。キャンパスの銀杏が色づいたことすら気が付かない輩が、工学で人を笑顔に出来る筈は無いのだ。そう思う。