誰のためのSociety5.0

Society5.0なんてものが提唱されて、デジタル庁が驚くべき家賃の建屋に出来たのだけど、何が変わるのかと思っていても、ちっとも何も変わりませんな。そもそもIoT、ロボット、AI、ビッグデータといった社会のあり方に影響を及ぼす新たな技術を用い、経済発展と社会課題の解決を両立させるという代物なのですが、DXなんかはその流れで使われていると思うのですが、日本企業においてちっとも進んでいない、いや、お役所なんか(鶴舞大学もだけど)もっと進んでいない。省庁まで出来てなんでなんだろう。

米国などは飛行機文化ではあるものの、東海岸、西海岸の時差がある国においても10年以上も前からWeb会議による契約なんてのが当たり前の様に行われていた。人間の労力を削減できるツールが出てきたら直ちにそれを使っていく。その意識が日本人に醸成されないのはなんでかなぁ。そりゃぁ、昨今の、隣の席の人とチャットでやりとりしているとうのは如何なものかと思うけど、それとて会話内容を保存するという点においては議事録要らずで有難いけどね。

全ての人に唯一共通に与えられている時間である。他人の時間を奪うなど以ての外。まぁ、Webだろうが対面だろうが、会議に時間を割かないといけないというのは、新しい事をやろうとすると仕方が無いのかなと思う反面、古くてどうでも良いしきたり見たいな会議まで、その会議をおもりする人達の為に残しておいたりするのはナンセンスだ。ましてや「メタ空間」に若者が移住し始めている今、老人が取り残されて対面だなどと言っているわけで、「メタ空間」の住民の皆さんから見たら、なんと古臭く、馬鹿馬鹿しく見えて居ることだろう。幸せの価値観の相違が世代によって益々広がっていくのだろう。

今の自分の思考を守ろうとするオールドタイマーが日本を滅ぼすのだろう。自動車が出てきたら馬車屋は潰れた。しかし新たな産業開拓に乗り出していった。新しいものが出来ると無くなる産業が出てくるからと、新しいものに規制を掛けて、世界から置いてきぼりをくっている。そんな国がSociety5.0などちゃんちゃら可笑しい。政治家諸氏から口から出てくる言葉をTVで拝聴するが、極めて滑稽で、そんじょそこらの漫才師の芸よりも優れて笑える。苦笑いだが。ため息が出る。