デジタル人材考

デジタル人材が居ないからDXが進まないと言い訳する。業務を浴びせているだけで仕事をさせないからでしょ。仕事をしていない、即ち頭を使っていない方々に溢れる企業にDXなんて有り得ない。企業と言いましたけど、これは大学においても全く一緒。勘と経験の積み重ねでその場を凌いでいく。ある意味凄いとは思う。その場凌ぎで明日を迎えられるほどの辣腕の持ち主。羨ましい限りだ。

DXは売上力の向上となって表出する。売り上げの改善ではなんのこっちゃ解らない。そんなもん、同業他社がこけただけかもしれない。市場の未来予測、社会変革を先取りし、データに落とし込む。活用できるデータとは何かを考え抜ける。その行為そのものがDXだ。意識の変革こそDXであって、デジタルツールを導入して、人件費を削減しましたなんていうのはウルトラナンセンスである。そもそも今の時代にそんな人員削減に相当する人を雇っている余裕のある企業は無いと思うが。

古きを訪ねることは最も良い。何故ならば、今を、そして過去を作ろうとした意気込みが、歴史に刻まれているからである。そこにこそ社会活動の意味があり、企業の有り様も見えるはずだ。ものづくりなどその連続であるから、何かの開発を目指すならば、まず、今、手持ちの技術の歴史の出発点まで遡らねばならぬ。源流は何故、その方向に流れる必要があったのか。それは今からどこに向かうべきかを考える示唆を与える。

デジタル人材とは、アナログを紐解ける人材を活かせる人材である。プログラミングが出来ますという人では無い。間違ってはいけない。良質な文学に感動出来、作者の思想に共鳴できる読解力こそデジタル人材が持ち続けなければならない能力である。それは小さい頃の絵本の読み聞かせから始まる。三つ子の魂百までである。ゲーム漬けにしたZ世代?の方々はデジタル人材では無い。