こんなものいらないなぁと思う巨大人工物が多々ある。諫早をはじめ、誰かの都合で自然を破壊してしまう構造物がその代表だが、長良川河口堰などもその一つだ。これは小生の想いだけだから、政治的に欲しい人は沢山いるんでしょうけれど、世論一般などと大それたことは考えない。大きな土木事業を行うと、大きなお金が動く。名古屋の大深度においてもお金が飛び交う。金まみれの構造物作りは一体、いつになったらやむのだろう。
ガキの頃は大きなもの、高速道路など、なんだか夢のような世界であった。何処までも続く平たい世界に、忽然とビルが現れ道路が空中で交差して、無限の数の車が走り回る。電車はどんどん早くなって、丸い顔の新幹線が登場して、近いうちに車も空を飛ぶのだろうと本気で思っていた。人口が恐ろしい勢いで増え続け、川の流れが変わり、橋が無くなり平地に変わっていった。その頃からなんだか変だと思い始めた。
近所に呑川というのがあって、これが高度経済成長期にヘドロがわんさか。浚渫が大変だと川底をコンクリートで固めてしまった。これが決定打だった。世の中おかしいと。大地に手を加え人が住むくらいならまぁ良かろう。自然に湧き出た水が海を目指す。バクテリアなどが浄化しながら水を海に運び水蒸気となって再び雨になる。その循環を破壊する人間の浅はかで愚かな行為だと、小学生ながら思ったものだ。
水が必要になるから河口堰を作ったと言う。しかし、誰も使ってない。閉じると決めた官僚がいるから閉じる。学者を呼んできて生態系は変化しないと言わせて、閉じる。学者も金に頭を下げちゃうから、札束が必ず勝利する。日本から自然という資源を取り去ったら何も残らない。心を支える文化の源流は天と大地だ。その間に人は生かされる。生きることに謙虚でなければと、まだまだ硬い桜の芽を見てしみじみ思った朝であった。