国立大学が平成16年から無くなり、今では国立大学法人というなんだかわかったようなわからないような。法人というのであればなんらかを目的とした私的な金稼ぎ集団であるはずなのだが、これが思いっきり縛られた形態をとっている。もっとも、財務会計の素人集団が法人なんて運営できるはずもないのだから、縛っておかないとあっという間に倒産ということになる。それが今の国立大学法人である。
国もこのままではお抱えの法人が多すぎて切り捨てていかないといけないとようやく気付いたらしく、特定国立大学法人という、これまた枠の外の蚊帳の中みたいな、なにがなんだか分からないグループを作って、土地を貸しても良し、投資しても良し、金で金を稼いで良いという、およそ教育組織にはなじまないことをやらせ始めた。東大などはどんどこ稼ぎはじめ、金持ちは無限に金を稼げるという時代劇みたいな状況を作り出している。見事なもんだ。
純粋な研究の府が、基礎から製品化までやってのけるという、TOYOTAも真っ青的な活動を展開し始めた。基礎を持ったものが分散せずに社会価値まで作りだしてきたら、これは国営営利企業のあるべき姿だなと感心している。本学ではなかなかこうはいかない。社会と一体となって高度人財を創造するというのが本学の務めだとは思うのだが、果たして今の状況はそれを牽引しているかと言われれば、そこまで割り切って頑張って無いというのが社会の評価であろう。
不具合解決では無く、理想からモノ作りをしていく。それこそが名工大の有り様だとするならば、便利と思われそうなスマホのアプリを作ったり、ネットありきのサービスで稼いだりというのはターゲットとしては違うと思っている。心の底から信頼できる、いや、疑うことすら想起しえない、人に寄り添う技術こそ挑むべきで、これは10年、20年と積み重ねていくものだ。そのページをゼロから作り出す。それが務めだ。