ローテク考

金属材料の焼き入れ作業を35年ぶりに行った。真っ赤なピースを炉から取り出し、適温・適量の水に落とし込むクエンチング作業。日本刀を作るわけでは無いので作業は荒っぽいが、それらしく出来るから面白い。匠の方々はその色だけで判断できるのだが、小生は「滅多にやらない」エンジニアだから、機械に頼って定量的処理となる。金属という素材は、柔らかくも硬くもなり、その原子配列と社会にもたらされる価値が見事にマッチしている。

技術はどうでも良いのですが、何を申し上げたいかと言えば「ローテクのハイテクは大切だぞ」ということです。ハイテクもままならないのにローテクを捨てていく日本。言い過ぎかもしれないけれど、承継されないけれど重要な技術は沢山ある。伊勢神宮の遷宮なんて、技術承継を目的としたものだし、日光東照宮の保守が、どれだけ日本の文化承継に繋がって来たか。お金ではなんともならないものがある。それが人が生み出した手仕事である。

そんなもん、AIと自動機械がなんとかするだろうと、いや、確かに思うところはあるし、そっちの方が繰り返し精度が良いのは間違いなかろう。プロセスもインフォマティクス化してくのは正しい方向だと思っている。ただ、見本となる技術があるのなら、そこから獲得すれば良いし、伝承するべきは技術そのものでは無くて、技術が生み出す価値であって、その価値の承継は人の知恵そのものであって、それを受け継いでいくのが良かろう。

小生は酸化物超伝導体に酸素原子がどのくらいの速度で拡散していくかという研究の時に、焼き入れ手法を身に着けたので、原子の目線でモノづくりをしていることになる。何を大袈裟と言うかもしれないが、大袈裟で無ければ承継する価値など無いのだ。新しく生まれる技術も既にある技術も、人に笑顔になって頂く価値と共に考えるべきであって、それらがあるから技術となるのだ。技術は人の為にある。ローテクの実践はそれを思い出させてくれる。