小生は鉄ちゃんという程のことではないのですが、新幹線が開通されるたびに、並行する路線をJRが運用しなくなって地域の足が消失していく。GoToで首都圏の大きな人数を地方観光都市に大量輸送すれば、企業としての利益は上がるので、企業としては問題無いのでしょうけれど、地元に根付いた鉄道が無くなるというのは住民の皆様にとってはとんでもないことですよね。小生の場合は、駅が無かったところに駅が出来たので、その便益向上の凄まじさを実感するし、突然、無くなった時の悲惨さも解る。
富山駅周辺も同様のことで、新幹線の開業に伴って経営が分離されて並行在来線となって、今は、あいの風とやま鉄道として株式会社化している。新線ということではなく、経営を担当している会社ということなんだけど、採算が合っている筈も無く、応援するしか出来ないもどかしさだけがある。この鉄道事業なんだけど、恐ろしいまでの車検制度が営業を圧迫しているって知られていることかしら?と思って書いてみた。
最初に気にしたというか知ったのは大学生の時に、新幹線のパンタグラフの、架線との接触部の部品の摩耗が凄まじく、それは「それこそ毎週取り換えるくらいの勢いだ」と聞いた時からだ。実際にはもう少し寿命は長いらしいが、確かに時速300km/hで金属同士をこすり合わせるのだから、その摩擦エネルギーは想像を絶する。パンタグラフが導通線に接したり離れたりする瞬間にミクロな隙間で大気がプラズマ化して、パンタグラフとその接触部の部品との間に特有の、電気的スパークで削られて失われる現象がおこるとも聞いた。同時に技術の面白さも実感した。
車両全体となると何十万km走行ごとに部品点検となり、一車両の車検代金は車両台数にも依存するけど、億近い金額になってしまったりする。一体、どれだけの乗客が乗ったら採算が合うのかって、新駅を作ったあいの風とやま鉄道に思ったのです。新駅は一日当たり乗降客を2500人と見積もっていらっしゃるとか。鉄道収益だけでは絶対に無理で、並行して行われるイベント収入などが重要になりそう。でも鉄道と人との関係は無くなって欲しく無くて、とっても応援したいのですよ。新しい駅が出来る。そこで人の想い出が出来る。そんな社会構造が続いて欲しいなと願う、新駅のお話で御座います。