優しさは強い心から

急に暖かくなった。日中は20℃を越え、少し前の4月では考えられなかった程。その昔?というほどでもないが、入学式で公会堂に移動するときにはコートを羽織っていった記憶がある。それが今では上着を脱ぎたいくらいだ。ソメイヨシノはかなり散った葉桜も散見し、これが温暖化ということなのかと実感させられる。それでも多くの方が桜の下で笑顔になっている景色は素晴らしい。日本は平和であると実感する。

ネットニュースなので真実かどうか解らないが、モスクワの街中は極めて平穏な雰囲気だという。在住の方がそう仰るのだからそうなのだろう・・これがフェイクかどうかなどは解らない。みんな真実に見えるし、嘘にも見える。真実と感じるのは、自分が手足を動かして、装置を動かして、残酷な結果が得られた時だ。あぁ、やっぱり駄目かと。こんな時、ここがこの結果を生み出した原因ではないのかと悩めることは幸せだ。何故なら真実だからだ。

ゴールへの道筋を仮定してから活動を始める。動き出したら最後まで進めてみる。途中で危ういと思っても、余程のやけどを負うのでなければ、危うい方向に進んで、ドボンするのが良い。何故、そうなったのか。ドボンしたら組織はどうなってしまうのか。それを若年代に実施しておかないと、深く先読みすることが出来ない人間に育っていく。大学生くらいが最後のチャンスかもしれない。本来は三つ子の魂なのだが、まぁ、20歳くらいまでは我慢するとしよう。そこまでに徹底的に失敗して孤独に耐えるくらいのことをしないといけない。社会は逃げ道を与えすぎる。

こんなことを言おうものなら、なんちゃらハラスメントと言われ刺されまくるが、刺した人に言いたいんだけど、共用の装置を壊して、黙ってリセットボタンを探して、リアルに破壊したものを他人に直させようとかね、知らんぷりをする学生を世に出して良いのか?甘やかすのもいい加減にしろ!と怒鳴りたくなるわけだが、まぁ、どうせ戯言だしね、誰も真面目に考えないから、ものづくりが出来ない国になっていくわけだ。挑戦が未来を描く力を強くする、失敗が心を強くする。他人の失敗を叱責するのは、自分が失敗をしていないから。優しさは辛さが生み出す。孤立は辛いもんだ。でも大丈夫。明日は平等にやってくる。挑めば良いのだ。