知床の悲劇に思う

「こんなものがこんな価格で入手出来るのか?」と世界から物を買ってみると驚かされる。逆に「一年足らずで劣化が目に見える製品がメードインジャパンか」と、特にエレクトロニクス製品の凋落振りは凄まじい。そんなものなのかもしれないが、この格差が何故生まれたのかを真摯に受け止め考えないと、作ったものが海外に流通して行って、外貨を獲得出来る国には永遠に成れないのではないかと不安でいっぱいになる。そうなってはならないのだ。

メタワールドがやってきますと、それはそうなのでしょう。新規の仮想通貨がTVコマーシャルで現れるくらいですからね。日本が最も豊かだった縄文時代においては仮想通貨は無かったとは思うが、シャーマンが居たくらいだから仮想という概念はしっかりと存在したと思う。火焔土器などはその存在そのものが魂の叫びであり、実態の向こうの思想が具現化されているのだと、全国宝火焔土器に囲まれた展示会で震えたのを覚えている。遺伝子が繋がっているのだなと実感させられた。この感動が重要だ。

LSI製造において、我が国は要素技術では貢献出来ているが、トップレベルの最終製品を作り出すことは出来ない。中古の露光器が飛ぶように売れて喜んでいる体たらくだ。開発コストが掛かり過ぎるから挑戦しない。ビジネスとしては当然の判断だが、技術しか売る物を作れない国において、その判断は正しかったのか。知床クルーズで悲しいことが起こって胸を痛めるのだが、その船は以前にも座礁経験があり、その船が行方不明になったのだという。修理が真っ当ではなかったのではと疑いたくなる。修理が出来ない技術しか無いのかと、そこに哀しみを覚える。

小生は異端児である。改革と挑戦に挑み続ける人種であって、八方美人の政治家諸氏とは真っ向対立する思想にある。沈む観光船で国民の命を奪うGoToなんとか(名前が変わったらしいが、興味が無いので覚えていない)を推進する政治家とそれを尊ぶ国民とは決別してしまいたいとは思うが、民主主義で、国民と名乗れる国家は日本しかないから仕方が無い、ここに居るわけだ。技術をもっと高めなければならない領域は沢山ある。あるが、高める土壌がこの国の何処にあるのか。それを見つけるGoToなら何処にでも行く。そんな気分である。