今の中等教育の現場を拝見したことが無いのが宜しく無いのだが、小生の遠い昔を振り返ると、小学校では『糸のこ盤』で木材を切って、彫刻刀を使って、何か彫り物をしたような記憶があったり無かったり。中学校ではボール盤を使って、木材にほぞ穴あけ加工をして、ブックスタンドを作った記憶が、こちらは明瞭に残っている。強力な機械に触れて「こりゃ、凄い」と感じた体験は忘れないという事だ。いや、単に、ロボットの様な(ボール盤だが)機械が、ロボットアニメを見ているようで楽しかったのかもしれないが、貴重な経験である。久保先生というお名前の先生であったことを覚えている。感謝申し上げたい。
何が言いたいかと言えば、可能な限り若年時代に「ものはこうやって作るのだ」という体験を沢山させて欲しいということだ。
ナイロンの合成というか、屈折率の異なる液体間をピンセットで摘まんで、その先を回転、巻き上げていくと、なんとナイロン繊維が出来てくる。これなどは化学反応の学習ということなのだが、中学生の時に見ていたら、そっち方面に進んだ人間になったかもしれない。創薬に興味を持っていたかもしれない。要は、質の高い体験を、なんだか解らないけれど、見せることってとても大切だと思うのだ。出来たものを触って、リアルが目の前で出来上がる経験を、数多くさせて欲しいと願うのだ。
STEM教育とかね、高校でやっているんだけど、小学校低学年でやって頂きたいものだ。「先生にスキルが無い」というなら、文科省が高校や大学から実践するような仕掛けを作れば良いのだ。大学発ベンチャーで、特にディープテックを増やせなんて言うけれど、種まきは小学校3年生頃までだろうと思っている。大学の研究室で見出したものを社会に出せとか言っているけど、こんなことをやってみたいと小学校の頃から思っていないと、そう簡単に挑戦者には成れない。挑戦者を潰すことに懸命な大人が待ち構えた社会だからね、この国は。
延々と一票の格差とか言って、何十年経っても民意反映が不平等だとか、戦争が始まれば防衛予算を増額しましょうとか直ぐに動くとか、そんなことには入れ揚げるんだけど、イノベーションを起こせとか言う割には、その種まきに頭を使おうとはしない。工科系高校という仕掛けはあるのだが、ものづくりの楽しさと大学進学の両立を図っている学校の何と少ない事か。ものづくりをしない人が工科系大学に入り、その人が教員になって指導していく。本質的なところが見えているのだが、さてさて、どんな荒療治が必要か。長く掛かるがやる奴がやらないとね。そう思う。